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JR土佐山田駅からのお勧めルート

夏草の賦-長宗我部氏の勃興と凋落

山田堰跡

信濃国より土佐の入り、長岡郡長宗我部郷の地頭となった秦氏は入部した郷より長宗我部氏と名乗り、室町期には三千貫の所領を持つ土豪となります。土佐の守護細川氏の庇護の下、夢想疎石開祖の名刹「吸江庵」の寺奉行として次第に勢力を貯えた長宗我部氏ですが細川氏の勢力の衰えとともに後ろ盾を失い、下克上の中、土佐仲原に覇を競う豪族の中で孤立をして行きます。

紀伝によると永正元年(1504年頃)、長宗我部兼序は、本山氏、山田氏、大平氏周辺勢力の連合軍による攻撃を受け戦死。居城である岡豊城は落城します。兼序の子千雄丸は幡多一条氏を頼り、中村に逃れ一条氏の庇護を受け国親を名乗り元服。同氏の斡旋で岡豊に戻り、譜代の旧臣等の助言の下、次第に勢力を回復していきます。

そして天文年(1545〜1550年頃)、隣接する大津城の天竺氏と相前後して、父の敵である山田氏を討ったことを皮切りに、土佐中央部への覇権を拡大。宿敵本山氏との雌雄を決する戦いを臨むことになります。国親は本山氏との決戦途上で無念の病死を遂げますが、その意志を継ぐ世子元親が本山を下し、土佐統一から四国制覇への道を突き進むことはいうまでもありません。

土佐統一を果たし、四国をもほぼ手中にし「土佐の出来人」「西国一の弓取り」と讃えられた元親ですが、豊臣秀吉の軍門に下りその後秀吉の命により出陣した九州征伐・島津攻め、豊後戸次川の合戦での長子信親の戦死を境にその家運にも陰りが差してきます。

信親亡き後、四男盛親への家督相続を巡る騒動がおきます。二男香川親和、三男津野親忠を差し置いた相続は理解が得られない。そればかりか信親の娘を盛親に娶らす、叔父と姪の婚姻は人倫にもとる蛮行だ、と異を唱えた重臣であり血族でもある吉良親実、比江山掃部介の腹を切らした事件は家門衰退に拍車をかけました。

さらに元親亡き後の関ヶ原の合戦では充分な状況判断もないままあたかも偶然のように敗軍につきます。また敗戦後には世継ぎ騒動にも深く加担し、後世に佞臣の名を残した家老久武親直の画策による津野親忠の殺害という大事件を起こします。このことは徳川家康を激怒させ、領国没収の決定的な要因を自ら提供してしまいます。

香美市は長宗我部氏が国親、元親二代の奮闘により四国の覇者まで駆けのぼる一回戦となった山田合戦の地です。山田城跡や雪ヶ峯跡などが住時を語ります。またその凋落の軌跡を記す比江山掃部介妻子の墓、津野親忠の墓などの重要史跡もここにあります。

県立歴史民族資料館の立つ岡豊城跡から一望の場所にある香美市。この地で何があったのか?今脚光を浴びる戦国大名の光を影を感じ、土佐の国の歴史に思いを馳せた最適の場所です。

なお、お隣の香南市にはこれも勃興期に大いに関わりを持ち、その後元親の腹心として四国制覇に大活躍する香宗我部氏の居城香宗城跡などの関連史跡も多く残されています。

史跡の詳細


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